問題のあるブログ

 

 

 

 

 

 

君の様な人間には一般社会で生きていくことが難しいよ。

 

そんな意味をもつような言葉を様々な種類の言い回しで、 色んなにんげんに言われて、とことこと 生きてきました。10代。

 

 

 

 

 

学生時代にずっと大人からそう言われてきて、 何がダメなんだろうと毎日考えていた。だめ だめ きみはだめ。その時はわからなくて、問題が多いぼくに酷くする人はきっとそっち(一般社会)でも生きていけるんだろうなって、それが悔しくて前の仕事を辞めて心が落ち着いてから働いてみた。

 

口より手を動かし続けた。挨拶の徹底とか ありがとうとごめんなさいを絶対に忘れない事とか 目を見て人と話すこととか 読めない空気の中で無理して喋ることはしないとか。人を観察しながら対人関係に関することを学んだりして 誰とも深く仲良くせず、だけど誰とも喧嘩しない。そんな学校で教わったことをそのまま社会でやってみたのだ。

 

 

 

 

 

気付いたら任されるものは多くなり、後輩に指導する立場にもなった。楽しい。仕事が出来るってこんなにも楽しい事だったんだ。なんだぼくはこのまま「一般社会」で生きていけるかもしれない

 

そんな事を思っていたけど靴箱の靴が2度なくなった。1度目は偶然かと思ったけど滅多に靴のなくならない職場でぼくの靴だけが2度もなくなってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

中学時代いじめられていたことはブログにかいたけど、その時実は、ぼくは最初いじめに気が付かなかった。物理的にどんなに酷いことをされても毎日死ねと言われても、だ。

 

その中学時代のいじめとは別に、靴箱のローファーが切られた事があったのを思い出した。名前がかいてある靴箱の、ぼくのローファーだけがハサミで切られていて、それをひとに話したら「考えすぎだよ」と言われたことがあった。目の前に切られたローファーがあるというのに、考えすぎだって何だろう?と思ったけど、その時もぼくはこの中にこんなにも僕のことが嫌いだと思っている人がいることに気付かなかった。むしろ皆優しいとも思っていたから多分変だと言われるのかなぁとおもう。

 

そういう事を思い出して、どうしようかなぁ うーん と考えた もくもくもく

「きっと靴を隠した人はぼくにどこにも行かないでっておもってるんだろう!かわいい!歪な愛だ!」と思ったりしてみた。

そしたらちょっとは可愛い。だけど靴は隠さないでねって言ってあげたいな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

君の様な人間には一般社会で生きていくことが難しいよ。

 

この言葉を思い出してブログを書いた。ぼくは仕事は出来るようになれても一般社会で生きていけないみたいだった。いったいなにが嫌われる要因になっていたのか、今回に関しては、周りの人とそんなに関わりを持たなかっただけに、まるで、さっぱり、本当に、理由がわからないのだ。ぽつんと自分の場所だけが空っぽな靴箱を見ながら、今日もミスしないうに生きよう とおもう。他の一般社会で生きれる人間はきっとこんな気持ちで靴箱の前に立ったりしないよな、寧ろこんな考え事なんてしないだろうし、あぁ良いなぁ どうやって生きているんだろうともくもく考えて仕事をした。それでも仕事は楽しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「普通の女の子になりたい」

芸でお金を頂く仕事を辞めると決めた時にそう言ったら、

「あなたの立場にいるからって、普通の女の子に変わりないでしょ。思い上がるのもいい加減にしなさいよ」

と言われた。

ぼくの中で普通の女の子というのは一般社会で生きれる人間をさしていたのだ。こんなことは長い説明が必要だとおもって言わなかったけれど、ぼくは普通の女の子にまだなれていないみたいだ。

 

むず〜 (急な緩急)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくからしてみたら「普通」って言われてる人の方が異常で怖い。日本人は新しいものや自分の知らないことにふれた時に怖いと感じやすいらしい。ぼくは日本人だね。一般社会で生きれる人間は芸能界では生きられないのか、と問われたらそれは違う気がするけど、芸能界で生きる人間が一般社会で生きれるのか、と問われたら「それはひとによりますよ」と即答してしまう。

 

こんな事があるとぼくは大概アウトプットの場所を探してそれを形に遺したくなる。歌詞でも動画でも音でも良い。こうしてちょっとリアルなブログでも、表現になるならそれでいい。

 

今月は撮影がないのでアウトプットの場所がなく、先月の撮影後に起こった出来事をずるずると引きづってしまった。こんな気持ちはアウトプットするしかなくブログを書いている。云わばこれは問題のあるブログだ。

 

1月からはしばらく連続で数ヶ月間撮影がある。天国。しあわせ。fooーーー!ぼくは何人もの人間に無理だって言われた一般社会でも生きれるようなおとなになる。それに踊ってみたの世界でも癖になる動画をばんばんうんでいく。どちらも違う生活で、だけどそれでないとぼくはうまく生きることが難しい。これができるようになれたら経験になる。そう思って生きている。

 

きみがまいにちのなかで、何か嫌なことがあったときにもおもってほしい。

これがおわれば 乗り越えられたら経験になる。

ぼくたちはこの画面越しの会話でつながって、また少し生きてみようと思って貰えたらそれはそれで嬉しい。

 

ひとに生きて欲しいと思うならひとつ自分のくらい所を出せ、ってね。嫌なことばっかりみんなそう なんていう歌詞は大嫌いだし、綺麗な言葉だけ紡ぐ歌詞も嫌いだ。でも一般社会はそれがふつうなんだ、と、音楽番組を見て 街中で聞く流行りの曲を聴いて おもう。

 

普通になることはつまらなくなることではない。ただ自分が生きていれる場所をこの国で増やしたい。そしてそっちの気持ちも知ってから死にたい。ぼくと似ている人が似たような悩みを持っていたので「普通になる事はつまらなくなることとは限らないかもしれませんよ」と話したことがある。じぶんはまだその途中かもしれないけれどここを超えたらどちらの気持ちにも寄り添える、そして、いろんな曲を踊ることもできる気がする。だからめげずに明日もがんばろっと〜と ぼくはおもう。

 

おちまい